もう終わりにしよう(2)

けれど、精神の回復には一層の時間がかかった。

自分の人生なんてどうでもいいという感情を否定しようとするあまり、今度は何としても自分の存在を周囲に認めさせなければという利己心の塊となった。周囲が大企業からの転職者で、社会人経験も自分より長いことが、その状態に拍車をかけた。露骨に表にそういった感情を出せば、きっと周囲から嫌われていただろう。内面と実際の行為のバランスを取る感覚だけは何とか持ち合わせていた。周囲に認めさせてやる、という行動は、結果を出し続ける限りにおいてはプラスに働く。転職して2年、責任の重い仕事をどんどん任され、それをやり遂げることで飛び級的に評価が上がった。

そんなころ手足のしびれが出た。脊柱管狭窄症。先天性とはいえ、このタイミングで症状が出たのはやはりどこかに無理があってのストレスの影響だったのだと思う。転んだり無理をしないよう日常生活に気をつけてください、という医者の言葉も心を縛った。仕事ができなくなり、せっかく立ち直ってきた自分の生活ががらがらと崩れ落ちてしまうのではと、非常に恐怖を覚え、なるべく体に負担のないよう土日は寝て過ごした。
体がうまく動かないことから臆病になり外出を控えるようになったため、人間関係はますます希薄になった。このような状況をたまに会う友人に説明するのも難しく、ときには恋愛に積極的でないことを批判されるようなこともあり悔しく思うこともあった。人に迷惑をかけるくらいなら会わないほうがましと感じた。
いったい自分の何がいけないのだ。苦しくて、自己啓発本、心理学の本、原始仏教などの宗教の本など読みあさった。

結論は出ていない。
だが、極端から極端に振れ、自分のことだけを考えぐるぐると回り続ける日々はもう終わりにしよう。
苦しんで考えてわかってきたのは、もう言い古されている言葉になるが、心一つで人生の見方はどのようにも変化するということだ。
振り返ってみれば、この5年の苦しい時期ですら、転職であれ仕事であれ、自分が意志を持って立ち向かったものは全て思うようになってきた。病状も、心が前向きな時は落ち着いている。計画通りにはいかないかもしれないが、よい方向へ向こうとする意志だけがあれば、それを実現する力が自分にはある。そのことだけは、この5年間で得た確かなことだ。

自分のことだけに苦しむのは終わりにしよう。
強い意志を持って、自分の能力や才能を100%生かすことに集中しよう。
そしてその能力を、きっと自分と同じように苦しんでいる他者を助けることに使おう。
そうして、その源としての自分を大切にしよう。

それでも、一人だけで生きていくのは苦しいことだ。
正しく生きていれば、そのうち会えるだろうか。
自分を理解し、愛してくれる人に。