仕事の整理

本日は仕事の整理。
もう次の出張準備が迫ってるので、そのあたりの情報を整理してチームの皆様と情報を共有。なかなか返事できなかった海外からの問い合わせメールにもようやく返事を返す。
あとは溜まった文書作成作業を片っ端から片づけていく!…はずが、テンション上がらず、ぜんぜん進まず。
まあ今日は整理の日ということで。

生きている証拠として。

ただ淡々と日々が過ぎていくので、後から振り返ると何をやっていたのか思い出せなくなってくる。一言でも思い出すために手がかりを残そう。

昨日は会社の同僚のピアノコンサート。アマチュアで働きながら練習して一人で演奏会を開く熱意に打たれる。
今日は先週の大阪出張の疲れをいやす一日。本を読んでいたらいつのまにか昼寝してしまった。結構疲れてたんだろう。

8月30日衆議院選

民主党圧勝の情勢ですね。
しかし民主が300議席超とはまた極端から極端へと振れたものですね。
自民党民主党で主張にはっきりとした違いがあればここまで一方的にはならないでしょうから、似たもの同志でどっちが雰囲気いいかで選ぶ選挙に今回もなっているということでしょうね。ある意味、日本国民の国民性というのは結局戦前から変わっていないのだなあと感じざるを得ません。

僕自身は別に自民党支持者でも、民主党が嫌いと言うわけでもありません。民主党にはあれだけのことをいったのだから、やってくれるんだろうと期待しています。

ただ、今後マニフェストが実現されていくのか、また日本にとって不利益な政治が行われていかないのかをチェックするということを考えたとき、もう少し拮抗した緊張感のある政治状況でないと、また一方通行の政治が繰り返されるだけのように思います。

前回の選挙でも「変化」を望む声が小泉自民党を後押ししましたが、その後の6年間で「変化」が必ずしも日本の全ての人にとってプラスになるとは限らないということを学んだはずです。極端な支持はいざというときのブレーキを弱めてしまうのです。

ともあれ、犀は投げられました。
民主党には、政権交代を機に政治(と宗教)を話題にするのがはばかられる風習を打破して欲しいとも思います。そして我々有権者自らもまた、「政治の監視塔」を政治の外に高く構築していく必要があるのだと思います。

積読

またずいぶん本を買ってしまった。
読むより先に買う癖がついてしまい、読んでない本が本棚に入りきらず部屋に山積み。
一種の買い物症候群か?しばらく買った本をしっかり読むことにしたい。

先に、英語・資格関係から。

You Can Pass the CPA Exam: Get Motivated!

USCPAの受験ガイド。必携かもしれない。
2005年の本のためそこは注意が必要だが、受験方法など基本的な部分は変わっていない。単位の話、各科目の攻略方法から記憶術、受験当日の注意まできめ細かい。さらに本の内容をまとめたCDまでついている懇切丁寧ぶりに感嘆する。

Pros and Cons: A Debater's Handbook

ひそかに狙っている英検1級受験に向けて購入。ディベート用のハンドブック。
広範なトピックのpros and cons(賛成と反対)をまとめた本。

英語で意見を論理的に述べる技術とトレーニング

上の本を買うきっかけになったのがこの本。論の立て方の基本的な手段がわかる。思考の組み立て方は英会話でも役に立つと思われる。

ここからは小説。

楢山節考 (新潮文庫)

楢山節考」は1956年発表当時審査員に衝撃を持って迎えられた作品。
積読と書いたがこれはすぐに読んだ。姥捨山を題材にしながら、描かれているのはそれまでの姥捨物語が描いてきたような、捨てられる老婆と家族の悲しみではない。登場する老婆おりんは、食料の少ない村で食い扶持を減らすために一刻も早く捨てられることを望む。老いても丈夫な歯を憂い、石で叩き折ろうとする。何代も前の先祖の行為が歌として歌われ、何年も同じことが繰り返されているような時間から見放されたような村で生きていれば、姥捨は生涯最大のハレの行事となるのかもしれない。
そう考えると、中上健次の『枯木灘』を先取ったきわめて構造主義的な作品に見えてくるから不思議である。

掌の小説 (新潮文庫)

個人的に明治〜昭和の小説読み返しキャンペーン中。
川端康成は実はあまり読んだことがないので購入。タイトルのとおり、ごく数ページの短編を122編収録している。数作品読んで女がらみの作品が多いことに驚いた。印象と違うなあ。

もう終わりにしよう(2)

けれど、精神の回復には一層の時間がかかった。

自分の人生なんてどうでもいいという感情を否定しようとするあまり、今度は何としても自分の存在を周囲に認めさせなければという利己心の塊となった。周囲が大企業からの転職者で、社会人経験も自分より長いことが、その状態に拍車をかけた。露骨に表にそういった感情を出せば、きっと周囲から嫌われていただろう。内面と実際の行為のバランスを取る感覚だけは何とか持ち合わせていた。周囲に認めさせてやる、という行動は、結果を出し続ける限りにおいてはプラスに働く。転職して2年、責任の重い仕事をどんどん任され、それをやり遂げることで飛び級的に評価が上がった。

そんなころ手足のしびれが出た。脊柱管狭窄症。先天性とはいえ、このタイミングで症状が出たのはやはりどこかに無理があってのストレスの影響だったのだと思う。転んだり無理をしないよう日常生活に気をつけてください、という医者の言葉も心を縛った。仕事ができなくなり、せっかく立ち直ってきた自分の生活ががらがらと崩れ落ちてしまうのではと、非常に恐怖を覚え、なるべく体に負担のないよう土日は寝て過ごした。
体がうまく動かないことから臆病になり外出を控えるようになったため、人間関係はますます希薄になった。このような状況をたまに会う友人に説明するのも難しく、ときには恋愛に積極的でないことを批判されるようなこともあり悔しく思うこともあった。人に迷惑をかけるくらいなら会わないほうがましと感じた。
いったい自分の何がいけないのだ。苦しくて、自己啓発本、心理学の本、原始仏教などの宗教の本など読みあさった。

結論は出ていない。
だが、極端から極端に振れ、自分のことだけを考えぐるぐると回り続ける日々はもう終わりにしよう。
苦しんで考えてわかってきたのは、もう言い古されている言葉になるが、心一つで人生の見方はどのようにも変化するということだ。
振り返ってみれば、この5年の苦しい時期ですら、転職であれ仕事であれ、自分が意志を持って立ち向かったものは全て思うようになってきた。病状も、心が前向きな時は落ち着いている。計画通りにはいかないかもしれないが、よい方向へ向こうとする意志だけがあれば、それを実現する力が自分にはある。そのことだけは、この5年間で得た確かなことだ。

自分のことだけに苦しむのは終わりにしよう。
強い意志を持って、自分の能力や才能を100%生かすことに集中しよう。
そしてその能力を、きっと自分と同じように苦しんでいる他者を助けることに使おう。
そうして、その源としての自分を大切にしよう。

それでも、一人だけで生きていくのは苦しいことだ。
正しく生きていれば、そのうち会えるだろうか。
自分を理解し、愛してくれる人に。